PumpNews_Janu_No.81
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証言でつづる30年その2理解してもらうのには、時間がかかりました」しかし営業に廻っていた工藤様はもちろん、京野社長にも自信がありました。「グルンドフォスポンプは当時すでに年間300万台以上生産されていました。これだけ世界中に出荷されているものに絶対悪いものはないという信念がありましたから、どうしても使いたいと考えていました。それに、UP型温水循環ポンプの性能・特長については私自身に知識がありました。エアーなどが入って来ないように、きちんとポンプを設置すれば最適な状況ができるはずですが、みんな使い方もシステムも判っていなかった」北海道とはいえ、当時セントラルヒーティングの普及率は低く、事例数は少なかったといいます。使い方が判らないのも仕方のない環境でした。そんな時代に京信興業は、なんと200台ものポンプを取り扱うと決めたのです。京野社長には売れる自信がありました。しかし、営業活動は困難を極めます。「全道を行脚するのです。函館から室蘭、夕方まで営業して夜中に苫小牧へ、さらに旭川へと約2,000㎞もの距離を移動し、いったんスタートすると1週間は帰って来られません。吹雪で前は見えず、車のヒーターも効かなくなる。先方へ到着しても、説明に時間がかかるため予定が組めず、宿を予約することもできません」と、信用を回復することから始めた開拓時の苦労を工藤様は語ってくれました。◆ ともに行脚した グルンドフォス社員そんな市場開拓に同行していたのは、当時のグルンドフォスの担当社員でした。月に2回は東京から駆けつけ、予定の見えない市場開拓をともにしていたといいます。「二人とも、まずはまともな使い方をしてほしいという一心で京信興業株式会社は、冷暖房空調機器の販売商社として発足した技術商社。札幌に拠点を置き北海道全域を商圏としてビジネスを展開しています。1982年のある日、ガデリウス株式会社の事業部からUP型温水循環ポンプを紹介されます。それがグルンドフォスポンプとの出会いでした。◆ 苦労を極めた市場開拓30年前、日本ではまだ海外ポンプ製品への理解がすすんでおらず、グルンドフォスのポンプは市場には登場してはいたものの、製品性能ではなく設置方法を間違えていることで故障が起き、誤解を招いていたような時代でした。京信興業の工藤様は、当時の苦労を振り返ります。「ちょうど良かった、引き取ってくれって、訪ねたとたんに言われるんです。ともかく、それは設置の仕方の問題だと説明するのが最初の営業でした。同じ会社に何度も何度も訪れて、使い方を説明しました。国産ポンプとは一線を画していた仕組みをした。正しい使い方やシステムをていねいに説明すると納得してもらえましたし、音の静かさや水漏れしないことに、みなさん好反応でした。いまでは、京信が扱うようになってから知られたという自負があります。その支えになってくれたのがグルンドフォスの社員の方でした。いろいろな面で良いパートナーだといえますね」と工藤様。ほぼマイナスからのスタートとなったビジネスも、徐々に上昇。お客様に理解してもらい、納得して在庫を抱えてくれるようになったとき、それがまた次の段階へ進むエネルギーになりました。今後、京信興業では空調設備などの拡張も視野に入れて、市場開発をしたいと考えています。「当社も2016年に50周年を迎えます。業者さんに理解してもらうだけで大変な時代があったわけですが、いまは新製品が出たときなど、業界で集まって一緒に勉強会なども行っています。一緒に知識を深めて、一緒に販売をスタートするなど協力体制も強まっていますね」京野社長はグルンドフォス製品の今後についても期待を持っています。「グルンドフォスにはオリジナリティがあります。これからさらに他社にない、独自で競争力のある製品が登場することを願っています。また北海道とヨーロッパの気候は似ています。近年、暖房システムも様変わりをしていますが、だからこそ新しい製品の開発に期待しています。温水循環暖房には必ずポンプを使うのですから、地場のニーズにあったものの開発を希望しています」マイナスからのスタート二人三脚で掴んだ暖房市場京信興業株式会社 代表取締役京野 信夫 様京信興業株式会社顧問工藤 晃義 様2006年、当時の会長、ソーレン・ソーレンセンと歓談する京野社長30th ANNIVERSARYPUMP NEWS8

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