PumpNews_June_No.79
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たった一人から始まった ポンプへの思いポール・デュー・イェンセンが生まれたのは1912年。デンマークのビェリングブロ郊外にある救貧院の管理人夫婦の一人っ子として、社会的に最も弱い立場にあった人々と密接に触れ合う環境で育ちました。彼が6歳の時、母が亡くなり、父は救貧院で生計を立てることは困難になります。そこで父は家族を支えるために小さな畑を購入します。しかし、幼いポールは農家になることを望んでいませんでした。彼は16歳になると、地元の機械工場で見習いの仕事を始めます。ところが見習いを始めて1年目のある日、父が亡くなりポールは独りぼっちになってしまいます。唯一残ったのは、地元の機械工場での機械工見習いの仕事だけでした。そんな困難の中、彼は自分で決めた道を進み続け、4年後には見習い修了証を受け取ります。技術学校を卒業した後、技術大学に入学しましたが、金銭的な問題からたったの1年で技術大学も去らなければならなくなります。そしてまた、ビェリングブロの機械工場で働き始めるのです。しかし彼は、技術的才能、努力、高い志により、機械工場の機械工から、エンジニアや管理職の立場まで出世の階段を一歩一歩のぼっていきました。その頃、ポールはインゲルという女性と恋に落ち、1938年に結婚、郊外の一軒家に住まいを構えます。そして息子ニルスのほかに3人の娘を授かりました。ポールは新しい創造へのエネルギー、情熱、アイデアに溢れていました。やがてそれは彼が毎日働く環境の中で実現できるものを超えていき、独立の夢を日増しに強く抱くようになります。そして1944年、彼は夢を実現しました。機械工場を退職し、オスターゲード41番地にあった自宅の地下室で、配管や鍛造の工場を始めたのです。グルンドフォスの 礎となった第1号機1945年、1つの注文が会社の運命に多大な影響を与えることになります。ある地元の農家が小さな自動給水設備を注文したのです。しかしながら、当時は第二次世界大戦の影響により、満足いく品質の電動地下水ポンプを手に入れることはポールには不可能でした。そこで彼は、最初のポンプ「Foss1(フォス1号)」 を彼自身で開発することにしました。『ブタ』とあだ名を付けられたこのポンプは、26台製造され、1946年5月1日に納品、大成功をおさめます。そしてさらに新たな多くの注文をもたらしました。このようにして、グルンドフォスの歴史が始まったのです。ちなみに、Fossとはデンマーク語で、水が流れることを意味します。ビェリングブロから世界へポンプの改良は次々と重ねられ、翌1947年にはより深い深度で使用できるポンプを開発します。以降、会社は着実に成長を続け1950年には従業員は40名になっていました。その頃には、デンマークのビェリングブロに高品質な製品をつくるポンプ会社があることは有名になっていました。1949年には既にノルウェーに輸出を始めていましたが、この頃インドとブラジルにも輸出を始めます。1959年には初めての循環ポンプを発売し、大きな成功への足掛かりを築きます。さらに1960年に海外初とな地元の機械工場で見習いの仕事を始めた16歳のポール1944年にポールは独立し自宅の地下室で工場を始めた初めて手がけたポンプ、Foss1の手描 き設計図と当時の第1号製品ポール・デュー・イェンセンが初めてのポンプを開発してからの70年を振り返り、創業者の生い立ちと、グルンドフォスの歴史をお話しします。PUMP NEWS10

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